気持ちという質量【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第14回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第14回
【心の質量も大事】
人間も機械も、位置や速度を感じる(測定する)ことはできない。感じられるのは、速度の変化、つまり加速度である。現在どこにいるのかは、GPSなどが開発されるまで、測定することができなかった。位置とは、ある起点からの距離であり、あくまでも相対量だ。また速度というものも、周囲との相対速度しか観測できない。唯一、加速度だけが測定できる。地震計で計測しているのも加速度。宇宙船などに搭載されているのも加速度計である。位置や速度は、加速度の測定値を積分して計算される。
電車がいくら高速で走っていても、速度が一定の状態では加速度はゼロだから、停止状態と同様にしか感じられない。人が感じることができるのは、速度の変化、加速度であり、ようするに「変化量の変化」なのである。
「力」というのは、加速度と質量の積だ。加速度を体感できるのは、力を感じることができる、という意味である。ただ、同じ力を受けても、質量が大きいほど加速度が小さい。
ここからは物理から離れた話。人は加速度を感じるけれど、その人の「心の質量」が軽いほど敏感だといえる。また、経験を積んで質量が大きい心は、少々の力では動じない。人の反応を、このように物理法則で解釈すると、けっこう当てはまる点が興味深い。
子供のときには、誰もが「軽い」から、ちょっとした力で大きなインパクトを受けやすい。感動したり、幻滅したりしやすい。その体感を覚えていて、大人になってから同じことをしても、同じだけ面白くは感じられなくなっている。体重の問題ではない。心の質量というのは、軽くしたり、重くしたり、その人の思想、信念、興味、知識、経験などによって育まれる。また、ある方面では軽く、こちらに対しては重い、というように、心の質量は一義的なものでもない。ただ、その時点、その方向において、質量に類似した素質を人が持っている、と解釈すると理解しやすい。
なにか自分にとって悪い方向へ変化が起きていても、人はそれを冷静に受け止めることができる。「嫌な感じだな」と思っていても我慢ができる。ところが、この変化が急に大きくなったとき、瞬間的な「力」を感じて、ストレスとなる。こんなときに、「もう許せない」と感情が爆発する傾向にある。逆にいえば、自己防衛の心理的システムが、このような力に耐えられないのだろう。
対策を練り心構えをして、自分の感情の質量をできるだけ大きくしておく以外に、冷静さを維持することはできない。力学的に考えても意味のない問題かな、とは思うけれど、しかし、このように捉えることで、多少は客観的になれるだろう。
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「無事」を重ねることが、人生の成功である。少し気をつけていれば、誰でもできる。ときどき予期せぬ不運が襲ってきても、また少しずつ無事を重ねて挽回していけば良い。勝たなくても良い。負けても良い。またの機会を待てることこそが、成功の価値なのである。(第35回「充実した人生に唯一必要なもの」より抜粋)
◉人生はプログラミング◉水を差しにくい社会◉話し上手と書き上手
◉老人になっても社会人である◉余計なものを持つことの価値
◉気持ちという質量◉「潔癖社会」純度上昇中◉ジェネラリストは存在しない?
◉どうなれば成功なのか?◉適度な自己中のすすめ◉アイデアを思いつける人
◉思いつきの手法◉新しい価値は無駄から生まれる◉頭は知識で肥満になる
◉楽しければそれで良いのか?◉効率か快適か、それが問題だ
◉自己利益が最重要な方針◉作るために必要なこと
◉一人でいることは、自由の象徴◉充実した人生に唯一必要なもの
◉AIが活躍する未来って?◉的確な質問をする能力
◉ネットのモラルはこれから◉フィクションを楽しむ条件
◉いつ死んでも良い生き方とは etc.